通勤中のサラリーマンは「死んだ魚の目」をしているか?
電車通勤するサラリーマンたちは「死んだ魚の目」をしているだろうか 死んだ魚の目なんてロック好きの中高生が使うような幼稚な表現だと思う 人は自分がどういう顔をしているか分かっていないもので朝なんてサラリーマンじゃなくても死んだ魚の目をしている
もっといえば朝でなくとも電車の中でなくともそうである 人は誰かと一緒にいなければだいたい死んだ魚の目をしているものだ 特に電車の中というのはパブリックな場所ではあるけれど一人で過ごす無為な時間でもあって誰かに向けて表情を作る必要がない
その目は精神や内面が反映されたものではなく環境に適応しているだけである 会社に到着すれば目も生き返る
だから働いている人たちをそのように批判するのはそもそもズレている