ソボジロ

セミリタイア後の日常考

節約のために何を売り渡しているかを考える

生活費を考えるとき、「何に金を使わないか」よりも、「何に金を使うべきか」を考えたほうがいい。節約はすればするほどハマるゲームのようなもので、些細な節約のために生活時間や快適さを売り渡してしまうものだから。

《そこそこやりくりすれば、年間五千ポンド(七〇万円)で生活するのはきわめて簡単だった。家賃を差しひいても、だ。ところが、お金を一切使えないとなったとたん、さまざまな問題が生じてくる。普通ならちょっとした買い物ですむことが、気の遠くなるような大仕事になってしまう。週五〇ポンドの薄給で暮らしているとして、ペンが書けなくなったとしよう。ペンなんて買えば安いものだ。誰だって、近くの店に駆けこんで二五ペンス出せば新しいのを買える。しかし、お金を使わないとなると話は別だ。ペンが信じられないほど安くたって、五ペンス値引きされたって、この際関係なし。お金がなければ買えないだけだ。国内の最低賃金換算で二分間の労働に等しい額を支払う代わりに、一日の四分の三の時間を費やしてキノコから新しいペンを作らなければならない。これが、倹約生活とカネなし生活のちがいである。この現実にはすっかり肝をつぶしてしまった。》

「僕はお金を使わずに生きることにした」マーク・ボイル 

朝5時に恐ろしい光に包まれる

なぜか朝の5時に起きている 狂っていた生活を正すために始めた早起きが過剰になってきて、7時起きが6時になり5時半になり最終的に5時起きになった

冬の朝5時は真夜中と変わらない 起きてから2時間近く待たないと朝日を浴びることもできない 睡眠リズムを保つためには寝起きに光を浴びることが重要なので、陽光の代わりに片手鍋くらいの大きさのLED電球を買って5時に電源タイマーをセットして点灯するようにした そうすると毎朝、部屋は非現実的な恐ろしい光で満たされる 超越的な存在が現れるときの光り方である

数日前に模様替えをして翌朝いつもどおり光で目が覚めて1日をはじめようとすると深夜1時だった 位置を変えたときに電源タイマーのスイッチを謝って押していたらしい かなり眠たかったが時計がなければ普通に朝だと勘違いして顔を洗いに行っていたかもしれない

 

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セミリタイアでは現実から抜け出せない

私にとってセミリタイアというのは、本編のストーリーを進めるのを放棄してミニゲームやアイテム集めに熱中するような感じだなと最近思う 全クリを諦めている だがゲームそのものから抜け出せるわけでもない たまに本編の方が顔を出してきて憂鬱な気分にもなる このような遊びを見出す能力が衰えたら、あるいは単純に飽きてしまったら、本編を進めることになるのだろう そのときには本編の方はもう詰んでいるかもしれないけれど

かなり前に読んだミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」の主人公についての語りを思い出した  彼(主人公)は仕事や結婚が本質だと思いこんで励んでいるが、実は彼という人間にとって人生の本質は部屋で一人で本を読むことなのに本人はそれを理解できていない、という語り 記憶はあいまいであるがこんな一節だったと思う 

私も本を読むのが楽しいがその時間が自分にとって人生の本質だとは言い切れない 本質の方は放棄してしまっているという気がする 本質なんてそもそもないというニヒリズムの立場にも立てない

 

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