ソボジロ

セミリタイア後の日常考

勝手にするという自由

テレ東でやっているYouTube蛭子能収が「テレビはギャラが高いから窮屈だが、漫画はギャラが低い分勝手に書けていい。編集者のいうことも聞いていない」と言っていた。

蛭子能収の漫画は基本的に途中で話の筋に行き詰まり、誰かを撲殺するというエンドになる。

蛭子能収の漫画には、作品としての質を高めていこうという意識が感じられない。だが一貫してそういうスタイルをとってきたわけではない。初期の頃の作品には向上心みたいなものがあった。少なくとも丁寧に書いていた。つねに撲殺は撲殺だが、撲殺の質が高かった。

蛭子能収にとっての「勝手に書く」には、好きなように書くというよりも、できるだけ適当に済ませるという意味合いのダウナーな自由がある。高める方に向かってしまっては自由じゃなくなるとでもいうような。

青林工藝舎の「アックス」に載せている漫画なんか、本当にひどかった。漫画はこんなに雑でもいいんだなあと感心した。初期の頑張っている漫画も面白いけれど、ひどい漫画もこれはこれでアリだと思う。

番組内でのよかった発言。

「パチンコをやっている人より、麻雀をやっている人の方が、人間の質がひとつ高い気がする」

「大きなお金をポケットに入れることを実践したい気持ちがある」

「もしかしたら俺も迎合して、どうにでもなれって感じなのかな?」

 

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