ソボジロ

セミリタイア後の日常考

欲しいものができたときに思い出すソローの経済論

私はもともとガジェット好きなので、新製品がでると心がひかれる。歴代のpomeraはすべて買ってきた。iPadProとMagicKeyboardの組み合わせ(13万円)は最高に可愛いと思い、買う寸前までいった。仕事をやめてからは何も買っていないが、感覚としては楽になった。

少し考えばわかることだったが、こうなってみないとわからなかった。それらは私にとってはただのおもちゃだった。現在所有しているのはMacBookAir(10万円)のみである。これ1台あれば問題ないというか、これだけにしてからの方がずっと作業しやすくなった。MacBookAirより安い中古のパソコンでもやれないことはないだろうが、キーボードの質などが著しく落ちる。

これは減らせば減らすほどいいというミニマリスト的な考え方ではなく、最適化を図った結果である。

新しいガジェットが出てくると、それが必要な理由を頭が勝手に探しはじめる。そういうときに思い出すのはソローの理論である。そうすると欲しいものが「ほんの少しよい程度のもの」だとということに気がつく。

《農民たちが過酷な状況から解放されることはなかった。一方のソローは、週一日に相当する時間を労働に費やしただけで、生きていくのに最低限必要なものを無理なく手に入れた。生活の多くを犠牲にした結果、農民が実際に手に入れたものは、ほんの少しよい程度のものだった――ベネチアンブラインドに銅の給水設備、あとはたとえば、街との往復を短絡する立派な荷馬車。》

《ソローの新経済論に沿って分析すれば、これは賢明な取引とは言いがたい。一生続くストレスや骨の折れる労働と、いまあるものより質のいいブラインドとを交換する? これは誰にも正当化できないだろう。窓辺の見栄えがよくなるからといって、それは本当に人生の大半と交換する価値があるだろうか。同様に、荷馬車は、いまより長い時間、農作業に汗を流すだけの価値があるものだろうか。徒歩で行けば、たしかに荷馬車で行くより時間がかかるだろうが、その分の時間は、荷馬車を買うために余計に働かなくてはならない時間よりもおそらく短いだろうとソローは指摘する。》

「デジタル・ミニマリズム」カル・ニューポート

 

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