ソボジロ

セミリタイア後の日常考

飼猫が死んだ

5月10日に飼猫が死んだ。17年生きた。最後の日、私はゴールデンウィークあけで、仕事日だった。看取ることができなかった。週に1日しかない仕事の日にどうして重なってしまうのかと思った。

けれども猫の死が私の出かけたあとに訪れたのは、それまでの日々は生きていたということで、最後の10日間はずっとそばにいてやれた。この期間は本当に恩寵のように感じた。猫は目を覚ますたびに、周りを見回して、私を見つけると、起きたことを伝えるためにこちらに向かって口を開き、声を出さない鳴き方をした。

死ぬ前日もトイレに自分の足で行った。ちゃんとは歩けないので、私は猫の腹のところをもって体重を支えてやって足を動かすだけで進めるようにした。猫はトイレの中でふらふらとしながらも座る姿勢になって小便をした。

最後の小便を終えてからは起き上がれなくなり、ソファーのうえで一生懸命呼吸をしていた。早朝はまだ生きていて、仕事に行くまえに横腹をなでると、頑張って首だけ起き上がって、水まで飲んでくれた。水の上に口をつけようとするが、頭が上下に揺れてしまってうまく飲めないので、私は首のうしろから猫の頭をもって揺れないようにしてやった。すると猫は舌を伸ばして水をぺろぺろ舐めた。

仕事の現場についてすぐ、家族から、猫が息をひきとったという連絡が入った。

私はその日は十数棟もある巨大な団地での仕事だった。外作業の担当になった。

5月特有の抜けるような晴れの日だった。風が気持ちよかった。こんなに気候のいい日はないと思った。外廊下や外階段からは、都市公園ほどある敷地が見渡せた。そのなかに緑が広がっていた。私は仕事を適当にしながら、風で揺れながら光を受けた樹々の風景を見ていた。その風景は飼い猫の死のあらわれのようだった。悲しみや怒りに支配されないように、明るい場所に連れ出してくれたのだと思った。

昼休憩のファミレスで涙がとまらなくなり、仕事にもどるのが大変だった。早く飼猫のもとに帰りたかった。まだその風景のなかにいたいとも思った。

文章化したくなかったが、記録に残しておきたかった。