ソボジロ

セミリタイア後の日常考

TwitterやYouTubeに飽きる方法

このごろは1日に10分くらいしかネットをしていない。まったくしない日も多くなってきている。

TwitterYouTubeやブログの巡回を止めたのが大きい。TwitterYouTubeにハマっていたころは常に見たい衝動に突き動かされていたが、1ヶ月ほど完全にブラウジングを止めて(ブロックアプリを用いて文字通り1秒もやらなかった)、再開してみると、どうしてこんな退屈なものに何時間も熱中していたのだろうと不思議な気分になった。感覚としては飽きてしまったという感じだ。やりすぎて飽きるのではなく、やらないと飽きるのだ。というか、すでに飽きていたことに、冷静になって気がつくといった方がいいかもしれない。

これが中毒症状から抜け出した状態だろうが「つまらないな」と思いながらも数日間ポツポツと見ているとまた気になってきて、いつのまにか数時間ぶっ通しで見る状態にもどっている。この依存性は主に間欠強化によって引き起こされるものだと読んだ本で解説されていた。スロットと同じでほぼ外れだがたまに当たることでドーパミンが大量に出る。私には間欠強化がてきめんに効くらしく、程よく見るということができない。

個人ブログも同じである。しばらく見ていないあいだに大量の記事が更新されているけれど、同じようなことを言葉をかえて主張しているだけで退屈である。

現在読んでいるブログは合わせて3つですべて日記ブログだ。読みものとしての工夫がなく、ただの記録のように書かれている。人気もないだろう。だがそういうものを読むのは私にとって退屈ではない。

 

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よく分からないモノを集める

アニエス・ヴァルダの「アニエスによるヴァルダ」が素晴らしかった 監督のアニエス・ヴァルダ本人が自作を語る映画である かなり攻めた撮り方をするのでヌーヴェルバーグの祖母とも言われているらしい 夜の街に出てとりあえずカメラを回し素材を集めるところがよかった コインランドリーで髪をかきあげている女の後ろ姿を外から勝手に撮って一つのシーンにする このようなストリートスナップ的な映画の撮り方は今も許されるのだろうか 

《自分たちでもよく分からないショットを集めたわ。映画の中には理解不能なものもある。沈黙か発言か、苦痛か静寂か。撮ったものが不明な場合もある。たとえば浜辺を歩くシーン。サビーヌたちは浜辺に横たわる女性に気づく。お腹に聖書を乗せた彼女を男性二人が見てる。何をしているのか二人には分からない。正直、私たちにも分からない。理解できないものを撮影したの。なぜなら映画というものは各自が解釈するものだから。》

アニエス・ヴァルダ「アニエスによるヴァルダ」

 

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毎日更新をする意味

このブログは以前好きだったブログがあってそれを読むのが毎日のささやかな楽しみだったから自分も何かやってみたいと思って練習のつもりで始めた 現在は練習かどうかも分からなくなっている

そのブログは5年ほどは毎日更新されていたのだが、去年くらいから年に数回しか更新されなくなってしまった 著者は毎日更新をしなくなると書くことが途端に難しくなると言っていた

やってみると確かにそうで毎日更新が一番楽というか、そうしないと書かなくなる

そのブログは時期によって内容が大幅に変わった 基本は日常ブログだが小説を読んでいるように面白かった 保坂和志山下澄人などの現代作家から強く影響されている文体で、書くことを楽しむためだけに書かれており常に迂回し脱線するような書き方がされている

久しぶりにそのブログの過去記事を読み返しているとブログ村に参加していることを知った フッターにバナーが貼られていてかつての私はブログ村の存在も知らなかったから目に入らなったのだ 貼られていたのは「小説ブログ」というジャンルである ランキングを見てみると1〜10位までほぼ「花より男子」の二次創作ブログが独占していた 上位ブログの説明書きにはハッピーエンドだと明言されていた 読者も多く訪問者ポイントが「セミリタイア」の倍以上あった

 

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