さまざまな老いのなかでもっとも嫌なもの
昨日、まだ老いを感じていないと書いて思い出したけれどそういえば昔より眠りが浅くなった でもこれが老いだとはっきりとは認められていない うまくやればまた深い眠りにもどることができだろうとどこかで思っている自分がいる
ボーヴォワールは老いは不意打ちだといったが、決定的なところまでこうやって目をそらし続けるから不意打ちになるのではないだろうか
眠りが浅くなるのも地味に嫌なことだけれど、さまざまな老いのなかでももっとも嫌なのが気力が落ちることだ 何もかも面倒くさがる祖母を見ているとそう思う もともと気力はない方なのでこれ以上落ちたらどうなるんだろうと思う 気力というものが筋肉のように鍛えられるならばいまのうちから何かをやっておいたほうがいいかもしれない
無気力に支配されるための環境をみずから積極的につくっているようなものなのだから